猫ぐらし2 ねこったけ家族

愛猫3匹との日々を紹介します

NO.54   娘の振袖                2024年2月20日

  

 大学生は休みが多い。年末年始を食べて、寝て、たっぷり栄養つけて弘前に戻った娘が、春休みで帰省しました。ここひと月ほど夫婦2人の静かな日常でしたが、再び喧騒の日々となりました。学年末テストやレポート提出に追われ、2週間ほどまともに食事や睡眠をとっていなかったそうなので、餃子やエビ天丼など好きな料理を作って慰労してあげました。1年前は受験や入学手続き、アパート選び、引っ越し準備に追われていたと振り返ると、月日が経つのは早いものです。賑やかな家族3人の食卓は嬉しいのですが、主婦としては食事量が増え(夫と2人なら手抜きするのに)、あれやこれやで用事も増え、少々憂うつ。あ~面倒くさい。手放しに喜んでいるのは夫で、「いってきま~す」「ただいま~♪」の声も晴れやかです。

 帰省の目的の一つは、来年の成人式に向けて振袖を選ぶことです。1月からレンタル店の展示イベントが始まり、娘の友達の中には早々昨年の夏休みに予約したと聞き、我が家は出遅れていたので、娘が帰省した翌日、家から一番近い結婚式場の振袖展示会へ出かけました。会場ではキッズの衣装撮影会もあって、幼児や小学1年生くらいの子供たちがたくさん訪れ、カラフルなドレスを着て大盛況でしたが、振袖展示場はほぼ私達母娘の貸し切り状態。じっくり着物を選ぶことができました。

 なにせ娘は紫好き。中高校時代の文具、服や運動靴、カバンなどには必ず紫色が入っています。娘は赤やピンクには目もくれず、真っ先に地色が紫か黒字に紫の花柄などを手にとり、羽織って姿見で確認します。小1時間悩んだ末、ラメ入りの濃い紫地に鮮やかな大ぶりのボタンの花柄を選びました。着付け担当の年配の女性が「第一印象で決まるものですよ」と言った通りでした。一生に一度の成人式、本人の好きな着物を着るのが何よりです。品のある配色と花柄を私も気に入りました。

 私の成人式では母に振り袖・帯一式を買ってもらいました。地色は濃紺。呉服店の展示会で一緒に選んだように記憶しています。成人式のほか、短大の卒業式(袴をはきました)、親族の結婚式など3、4回は着用しました。二十歳代、私はかなり太っていて顔もまん丸のパンパン、がっちりした胴回りに帯が映えるとはよくいったもので、恥ずかしいので記念写真は実家に放置したままです(笑)。娘は私の振袖で写真だけ撮りたいというので着丈が合えば着せてあげたいと思っています。そして前撮り撮影では家族3人での記念写真を撮りたい。私も何十年ぶりに自前の留袖を着ようと思います。ピンク色なので、今の年齢が最後のチャンスかもしれません。昔の習慣からか母は結婚時に私に着物を持たせようと、着る機会はそうそうないのに留袖を用意してくれました。贅沢な買い物で申し訳なかったのですが、今は感謝しています。いつか娘が私の持っている着物を着る機会があればいいなと願っています。

 今春86歳になる母は今でもおしゃれな人で、昔から私の服装にあれこれ口出す人でもありました。学生時代私が選んだ服に「それ流行なの?どうかと思うよ」と小言を言われたり、社会人になっても「その組み合わせはダメだわ」と、出勤間際に着替えさせられたこともありました。今でも時々「それ安物でしょ」とか余計なことを言ってきます。なぜか若い時分からあまり逆らわず、母のアドバイスに従って何となく無難な色やデザインばかり選んで着てきました。未だにそこから抜け出せず、紺やベージュ、グレー、白以外の色を着るには、かなりの勇気がいります。だから娘の洋服買いに付き合う時は見た目の印象やフィット感は伝えますが、色や柄は自由に好きなものを選べばいいと思うのです。

 めっきり春めいてきて、淡いパステルカラーや花柄、ボーダー柄などかわいらしいファッションが店先を飾っています。還暦を前に、これまでは絶対選ばなかった色や柄、デザインに冒険してみたいと思うこの頃です(今が私の反抗期)。今回は猫の話題がなかったので、次回2月22日「ねこの日」は猫づくしにしたいと思います。

 

    

 

 

NO.53  家電の買え替え時って?今かも…!      2024年2月9日

  

 新しい掃除機を購入しました。いつものように使っていたら焦げ臭い匂いがして、一旦スイッチを切るとそれきり動かなくなりました。ひっくり返してみると、2013年製と記載され10年以上使用していたのだと判明。猫3匹の毛が隅っこにかたまったり、トイレ砂の欠片が飛び散ったりで、ほぼ毎日掃除機を酷使し続けていたのです。久々に電気店に行きました。さすが10年前より軽量化かつ吸引力アップなど機能が進化していて悩みましたが、結局前と同じ紙パック式を選びました。サイクロン式はコンパクトで吸引力もいいけど値段が高い、紙パック式は値段が手ごろで手入れが簡単なのが利点です。持ち運びも操作も負担がないので満足していますが、猫たちには不評です。以前なら少々体の横を掃除機が通っても無関心だったのに、耳慣れないモーター音に怯え、掃除機をかけ始めると2階やキャットタワーへと避難しています。

 でもね、憧れは「ルンバ」です。広いうちではないけれど、ネット動画で見るように、願わくばうちの子もルンバに乗ってもらいたい、くるくると部屋の中を回る姿を見たい!試してみたいのよ~(笑)。

 電気店はこれからが稼ぎ時で、春は大学進学や就職などで人暮らしを始める人や転勤者が増えるため、様々な家電製品が豊富に展示してありました。真新しい大型家電を眺めていたら、ふと思い立ち、わが家の家電製品はどれだけ使用しているのか調べてみました。冷蔵庫2007年製、洗濯機2007年製、テレビ2010年製(AQUOS世界の亀山ブランド)、パソコン(Word、Outlook2010年バージョン)、ビデオデッキ2002年製。そんなに経過していたのかと、驚きました。

 パソコンが旧式なのは十分承知していて、動作が遅く、買い替え時だろうと自覚していましたが、何せ夫も私も十分事足りて仕事ができているので「そのうちね」くらいの感覚です。ビデオデッキ(VHS対応)に至っては、とうに壊れていて再生できても録画はできません。リモコンもイカれて本体のボタンで操作し、途中停止できないため映画鑑賞する際はトイレ休憩なしノンストップ上映です。そもそもビデオ・CDレンタルする習慣がなく、数年に1回あるかないかだから、現状維持でいいのです。娘がこの状況を友人に話すと、「ええ~っ!信じられない」と驚かれるそうです。だから娘はスマホのアプリ配信で見過ごしたTV番組を視聴しています。夫婦共々ドラマにそれほど興味がなく、観ない時間帯が多いのでTVも多少古くても4Kでなくとも気にならないのです。

 問題は17年を経過する冷蔵庫と洗濯機。調べたら冷蔵庫も洗濯機も耐用年数は10年ほど。内閣府の消費者動向調査によると、冷蔵庫は平均使用年数13年、洗濯機は10年で買い替えしているそうです。17年前冷蔵庫が壊れたのは真夏でした。突然だったので急きょ最寄りの家電店に駆け込み、じっくり選ぶ余裕もなく、安くて在庫があって即配送してくれるものを買うしかありませんでした。それでも配送まで3、4日かかり、冷蔵庫の食材はクーラーボックスに氷を入れて保冷してしのぎました。二の舞を踏みたくないので、夫婦2人世帯となったことを機に買い替え時なのでしょう。でも壊れていない。もったいない。洗濯機も上蓋が少々ヒビ割れていますが、ちゃんと働いてくれます。現役で活躍しているのに引導を渡すのは気が引けます。でも壊れてからでは遅い。じゃあ、いつ買い替える?と頭を悩ます日々。「今でしょ!」と、背中を押してくれる、何かが欲しいのです。

 ちなみに家電をお得に買う時期は年度末の3月、ボーナス時の6月、12月らしい。3月は卒業入学、就職・転勤シーズンと重なって配送に時間がかかりそうだから、新製品が出回り、旧式モデルが値下げされる5月頃が決断時期かな。これを逃すと、貧乏性だから壊れるまで使用続けることになりそうです。

             

        掃除機の音を嫌い、キャットタワーに避難するりん

         

  職場近くの川で越冬するオオハクチョウ。今年も20羽くらいが春を待っています

        

  川が結氷した日には首を羽の下にしまい込み、寒風をしのいでいました

 

 



 



 

NO.52  「ゴールデンカムイ」 凄いです!      2024年1月31日

  

 野田サトル原作の映画「ゴールデンカムイ」を観てきました。凄いです!明治末期の北海道を舞台にスリル&スピード感あるアイヌ埋蔵金争奪戦、野生ヒグマとの死闘、そんな中にもちょこっと笑いあり、アイヌの精神世界と暮らしを学べる、評判通りの面白さでした。原作の漫画もアニメも知らなかったのですが、予告映像と豪華な俳優陣に惹かれ、心弾ませ夫と映画館に足を運びました。夫は「あちこちで人に会ったら、面白かったよ~ってお勧めしてる」と、しばらくわが家の話題は「ゴールデンカムイ」感想談で盛り上がっています。

 埋蔵金を探す謎解きストーリーの面白さもさることながら、まず映像の美しさに感激しました。すべてが北海道ロケではないのですが、山々を覆う凍てついた空気、寂莫とした雪原、白銀の木立の中を歩く主人公「杉元佐一」とアイヌの少女「アシㇼパ」。山中で度々出くわすヒグマとの激闘。牙を剝き出しに襲いかかるヒグマの動きと咆哮が臨場感を高め、ゾクゾクと恐怖を感じました。アシㇼパを守る白い狼の「レタラ」も本物の野生動物の息遣いが感じられ、CGなど最新技術の凄さにただただ驚きました(「もののけ姫」のモロの君のよう)。そして各役者さんの特殊メイク、気迫あるアクション、怪演ぶりに引き込まれます。また杉元が不死身と言われる所以となった日露戦争二百三高地での戦闘シーンもリアリティーにあふれ、兵士らの荒れた肌、カサついた皮膚のメイクが戦争の凄まじさを物語っていました。

 映画ではアイヌの生活ぶりが多く紹介されます。特に食事のシーンは興味深く、アシㇼパが狩猟した動物の肉に山菜、野菜などを煮込んだ「オハウ」(煮込み汁)を作ります。オハウはアイヌの人たちの食生活で中心となる料理で具だくさんの鍋みたいなものです。基本の味付けは塩や魚油、風味付けとして焼き昆布の粉末や乾燥させた行者ニンニクを振りかけて食べるそうです。映画でも度々オハウが登場し、杉元が「味噌」を入れようとすると、アシㇼパが「それはオソマアイヌ語でうんこ)だろ!そんなもの食べるのか」と気持ち悪がるシーンがあります。アイヌの食文化に味噌がなかったことを初めて知りました。撮影ではフードコーディネーターがアイヌの食事を忠実に再現しつつ、役者さんが美味しく食べられるようにと、鹿肉をベースに鶏肉を混ぜ合わせるなど工夫して作ったそうです。ちなみに「オハウ」は白老町の国立アイヌ民族博物館ウポポイ(民族共生象徴空間)でも提供しています。2021年7月にウポポイで「ゴールデンカムイ展」を開かれ、アシㇼパが着ていた衣装のモデルや映画でも使用した民具、拳銃などが展示されたそうです。見学した夫は「映画を観る前と後では全然、見る目が違う。もう一度じっくり見たい」と悔しがっていました。私はウポポイに行ったことがないので、いつか訪れたいとの思いが強まりました。

 それと、アイヌの人たちは生まれた子に病魔がこないようにと、幼名に汚い名前をつけることも知りました。「オソマ」もその一つで、6歳になったらちゃんとした名前をつけるそうです。食事をする際、神に感謝する作法や獣を獲る罠の仕掛け方、仕留めた熊を解体する時の決まり事などが映画の中にちりばめられています。アイヌ語で美味しいという意味の「ヒンナ」には、大地の恵みをいただく自然への感謝の気持ちが込められているといいます。なんとも耳に心地よい、優しい言葉です。自然と共存するアイヌ民族の生きる知恵、アイヌの人々が抱く自然に対する畏敬の念、その奥深さに感嘆しました。

 2人ともすっかり山﨑賢人さんのファンになり、主演映画の「陰陽師0」(5月)、「キングダム」(7月)の公開が待ち遠しく、早くも「ゴールデンカムイ続編あるでしょ!」と、今後の活躍を期待しています。

 それしにても夫婦2人で映画を観たのは何年ぶり?50歳以上のペア割チケットで料金が安くなり、年とると色々な値引きサービスがあるものだと、嬉しくなりました。わが家の猫たちもシニア世代。猫世界も特典ないかしらね。ご長寿さんはマグロ缶割引しますとか。暖房機の前でくつろぎ、食べて寝て、食べて寝ての日々です。

      

     

           

    りん(黒猫)に何かとちょっかいを出すチャコ。尻尾に触りたいの。

 

 

NO.51  推し活、命!                  2024年1月23日

 

 「毎日、吹雪吹雪、氷の世界♪」(井上陽水)ではないけれど、降っては解け、また降り積もり。雪かきに追われてブログを書く体力が消耗していました。年末年始帰省し、たっぷり2週間、3食昼寝付きの上、手土産(初売りでゲットした服や食料品)をスーツケースに詰め込み(持ち上げられない💦)、娘は弘前に戻りました。見送りをして駅から出て振り返ると、夫は出発した列車に向かって両手を振っていました。ホント男親は娘に弱い。すぐ春休みがくるのに、2人で食事をしていたら「こんなに静かだったっけ?」と、しんみりつぶやく始末。娘がいると食事の支度は倍増だし、買い物に付き合い、なんやかんやで忙しい思いをしたけれど“私だってちょっとは寂しいのだから余計なこと言わんといて”と思います。

 娘はSixTONES(ストーンズ)の大ファンで、ファンクラブに入り、昨年4月東京ドームコンサートに初参加してきました。「田中樹」担で、出演するテレビ・ラジオ番組、ドラマ、雑誌などはチェックを欠かさず、推し活、命の日々です。2月からのSixTONES4大ドームツアーに向けて、娘は大学で親しくなった推し活の友人とチケット予約を申し込んでいました。東京、名古屋、大阪、福岡のうち3会場に2人で16通り申し込みましたが、娘は全滅。高倍率で1度当選すると、次はなかなか当たらないそうです。

 友人が大阪公演に当たりました。初だそうです。ところが、その両親が「地震があったばかりで危険」と反対。友人は何度も親を説得して行かせくれるよう懇願しましたが、親の意思は固く、ツアー参加を断念しました。2人で号泣したそうで、娘は「何も手につかない」と茫然自失の日々。どうやら地震だけが反対の理由ではなさそうですが、一番悲しんでいるのは当選した本人です。友人と会っておしゃべりをして励まし合い、旅行でもしようと2人立ち直ったようです。あらためて娘は「友達って大事だね。2人で笑って元気になった」と話していました。コンサートを逃したのは残念だったけど、良い経験を積んだね。

 私自身、アイドルなど誰かの熱烈なファンになった経験はなく、娘の熱の入れように???の時もあります。でもいつの間にか私もSixTONESの活動を気に掛ける毎日です(笑)。私の中学生時代は“たのきんトリオ”(田原俊彦近藤真彦野村義男)が全盛期で、クラスでもトシちゃん、マッチ、よっちゃんファンに分かれていました。当時の音楽番組「ザ・ベストテン」の話題で昼休みは盛り上がり、ピンクレディーキャンディーズも人気絶頂だったので、教室の教壇をステージに振付を真似して踊る子もいました(運動音痴の私はまったく覚えられなかった)。そういえば大人っぽい女子に「ベイシティローラーズ」ファンがいて、学校をサボって札幌のコンサートに行き、担任に大目玉を食らっていました。高校になると、フォークやロック、洋楽とジャンルが一挙に広がり、浜田省吾長渕剛オフコース中島みゆき松山千春、クイーン、ディープパープル等々、様々な音楽があふれていました。学校祭でバンドを結成して演奏すると、クラスメートの意外な一面を知り、一躍ヒーローでした。部活(美術部)の先輩に甲斐バンドを勧められ、ハマりました。初期の曲で「きんぽうげ」「そばかすの天使」「翼あるもの」が好きです。昔の歌詞には物語があり、その世界観に惹かれました。

 どちらかというとアニメ・漫画好きでした。中学校時代は宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999機動戦士ガンダムが大流行。雑誌「アニメージュ」を購読していました。漫画は池田理代子竹宮恵子萩尾望都。新刊が出ると、即本屋へ買いに走りました。男装の麗人(オスカルやユリウス)に憧れ、当時、少女漫画界で衝撃だったボーイズラブ風と木の詩」にドキドキし、今は40年ぶりに続編が始まった「ポーの一族」を楽しみにしています。「はいからさんが通る」や「パタリロ」「マカロニほうれん荘」も愛読していました。私もしっかり“推し活”してたね。200冊を超えた蔵書の大半はリサイクルショップで売り、好きな作品だけ手元に残しています。

 娘の推し猫チャコは娘が弘前に戻ってから一時、食欲が失せ、引きこもりでした。時々2階の娘の部屋の前に座っていました。やっぱ寂しかったのね。今は復帰して夫や私に寝返って、うっかり八兵衛(出:水戸黄門)ならぬ、ちゃっかりチャコです。

    

       

       エドガーやアラン、メリーベル。どの登場人物も愛しい。

       

    ソファ占拠。真ん中の膨らみはソファカバーの下に引きこもるチャコ。

 

NO.50  辰年は努力が実を結ぶ年に          2024年1月11日

  

 なぜ架空の動物である「辰」(竜)が干支に選ばれたのか。以前から気になってはいましたが調べたことはありませんでした。便利なGoogleで検索したら、その理由を知ることができました。諸説あるようですが、古来中国では竜は実在すると信じられ、人々には身近な存在だったからそうです(竜ではなく、ワニだったとの説も)。竜の鳴き声は雷や嵐を呼び(竜巻の語源)、天候や自然を支配する巨大な力をもっているため、竜は権力者の象徴であり、辰年は時代を動かす「変革(転機)」や「激動」の年と呼ばれるそうです。一方「辰」の原字は「蜃」。蜃は二枚貝の弾力性のある肉がピラピラ動いている様子を描いていて、「振」「震」の意味をもつそうです。

 1日に発生した能登半島地震はまさに「震」であり、激動の年開けでした。発生から11日経って亡くなられた方が213名、安否不明37名、孤立状態の方が約2千600名。約2万6千名の方々が避難生活を余儀なくされ、不安な夜を過ごしていることでしょう。2日には千歳空港発の日本航空機が海上保安庁航空機と衝突、炎上する事故があり、日航機の乗客乗員は脱出して全員無事でしたが、海保隊員5名が亡くなりました。地震の被災地へ支援物資を届ける任務の途中でした。新年から悲惨な報道が続き、神様がいるとしたらなんと残酷な試練を人間に与えるのだろうと、映像を見るたびに胸が痛みます。一日も早く被災者の方が安全に安心して暮らせることを願います。また大学、高校受験を控える学生さんたちには逆境に負けず、持てる力を発揮して試験に挑むことを祈っています。頑張れ石川県、頑張れ受験生!

 北海道も地震は多く、2018年9月6日に発生した胆振東部地震では厚真町で道内初の震度7を観測しました。私の住む市は震度5強で家が揺れましたが、大きな被害はありませんでした。しかし全道停電(ブラックアウト)を経験(一日半で通電)し、水道は使えたもののオール電化の我が家は1日が限界でした。

 今回の地震で多くのペットも被災し、犠牲になったでしょう(日航機の事故でもペットが搭乗していたそうです)。正月に猫2匹と老犬1匹を飼っている職場の友人が試しに避難訓練したそうです。猫2匹をキャリーバッグに入れ、犬を引いて逃げるなんて、「抱きかかえた猫は暴れるし、どっかに隠れて見つからないわで絶対無理!」と嘆いていました。うちも同じで胆振東部地震の際には、りん、チャコの2匹は2階に駆け上がって、ベッドや椅子の下にうずくまっていました。鈍くさいモモだけは寝ていた場所で眼だけランランとしていました。連れ出したところで3匹一緒の避難所生活も厳しい。災害は忘れたころにやってくる-と、肝に銘じておかなければなりませんが、具体的な対策が思い浮かびません(そういえば、カップ麺やパックご飯などの非常食も備蓄していない!)。

 一方、「振」「震」は「動いて伸びる」「整う」の意味があり、草木が盛んに成長し、形が整った状態を表すと解釈されるそう。物事が成長して形になる、努力した成果が実を結ぶ、芽吹く時なのだろうと捉え、今年は時代の良い転機・良き変革に期待したい。個人的には仕事を納得ゆく形でこなし、古い友人と会う機会を企画・実行し、娘の暮らす弘前へ夫と旅行し、還暦同期会を成功させてとー欲張りな願懸けですね。

辰年は激震の幕開けでしたが、きっとこの先に良いことがある、幸せを感じることがあると信じて今年も慎ましく(節約倹約の努め)、精いっぱい(誠心誠意、尽力して)暮らしていきたいと思います。

追伸:夫よ、タバコやめるいい転機だと思うよ。そして娘のつぶやき「成人祭にあわせてピアス開けたいな。二重まぶたにもしたいな」。実現したら「変革・激動」一大事!

   

  日差しを浴びて、気持ちよさそうに寝ている猫たちを避難させるのは至難の業

 

 

NO.49  謹賀新年 年末備忘録&今年やりたいこ      2024年1月1日

 明けましておめでとうございます。こちらは晴れて雪もなく、朝日が輝く穏やかな元旦を迎えました。前夜は初めて紅白を観ない大晦日でした。いつもは旧ジャニオタの娘に付き合って観ていたのですが、娘はSnowManSixTONESのネット配信を観て過ごし、夫は読書、私は溜まっていた日記を書いたりして、「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞きました。慌ただしかった年末の備忘録では、29日に娘が帰省し、JR改札口前で出迎えました。「おかえり~♪」と指折り(指をくわえ?)待っていた夫の姿は、尻尾をちぎれんばかりにふる犬のよう(なにせ戌年ですから)。一人増えただけなのに、娘のおしゃべりと笑い声で一挙に家の中がにぎやかになりました(なにせ申年ですから)。夕食時でも、テレビを観ていても、夜中のミニ宴会でお菓子をつまみながらでも話題は尽きず、しゃべり過ぎて喉が渇くほどでした。娘も夫もお菓子大好きで、年末にクッキーやチョコパイ、おかきやミニカルパス、ポテチなど沢山そろえました。娘は「うちのおススメはこれ!」と、わざわざ弘前で買ったクラッカーを持参し、3人で「いいね」「ハマりそう」「こっちで見たことないわ」と車座になって菓子談義で盛り上がりました。平和ですよね。

 翌30日は朝からうま煮と生酢を作りました。昨年は里芋とごぼうをきちんと下茹でしなかったので、軟らかくなるまでに時間がかかって失敗。今年はしっかり具材を煮たので成功しました。母と隣家(単身高齢者)にもおすそ分け出来ました。毎年、年越し食事会が30日に実家でありましたが、85歳の母は支度するのが億劫になったようで、今年からわが家ですることにしました。地元老舗の肉鍋店からすき焼きセット、地元ホテルから寿司とオードブルを取り寄せ、母を家に招いて豪華な夕食になりました。今年は母との関係で私が滅入ったことも多々ありましたが、この日はごちゃごちゃ悩まず、気持ちよく食事会ができました。母は500ml缶のビールをあけ、機嫌もよかったとでしょう。

 迎えた大晦日。北海道(東北地方も)は大晦日におせちを食べるのが慣例で、夕食はとっておいたオードブル(4人前なので母と分けました)をおせち代わりの年越し膳です。そば好きの夫は夕食と夜中にも年越しそばを食べ、何回年を越したんだか(娘は日付が変わってから)。

 それぞれに今年やりたいこと(夢)、目標を聞きました(有言実行するため)。娘は直近の夢は2年連続でSixTONESのコンサートに行くこと。チケット当たるといいね!それと「一人で何でも行動できようにしたい」と言いました。土日は食料品買いに行くくらいで家にこもりがちで、一人で気軽に出掛けたり、大学内のイベントや講習会などへ一人で参加することに消極的なのだそう。あちこち弘前市内を探索して、夫と私が行った際には案内してもらいたいな。

 夫は毎年「家族の健康第一、家内安全」と言います。本当はいっぱいやらなきゃならないことあるはずなのに、尻に火が付いてから動き出すタイプ。

 私は一番の目標は今秋、高校の還暦同期会を開催、成功させること(地元発起人の一人です)。次は東京にいる友人の睦美ちゃんに会いに行くこと。もう30年以上会っておらず、沢山おしゃべりをしたい。3つ目は年末に依頼された仕事を成し遂げること。普段の仕事内容とは少し違うので、気合入れています。

 元旦恒例の家族写真を撮りました。娘が生まれてから続けているので、本棚に並ぶ写真立ては20個になりました。各自推し猫を抱いてカメラをタイマーセットしますが、毎回汗だく、爆笑撮影会です。モモは逃げ回り、チャコは暴れだし、大人しく抱かれたままなのはりんのみ。タイマー時間内にまともに撮影できたのは6回チャレンジして2枚でした。娘と私はお腹が痛くなるほど笑い、和やかひと時です。この幸せがいつまでも続いてほしいと願う正月です。

            

            

      大晦日の夜、ネット配信で推し活する娘と香箱座りのモモ

        

   正月恒例の家族写真。3匹目の到着を待てずに逃げ出す寸前のチャコ(三毛)

           

           隣家からいただいた正月用の飾り巻き寿司。

 

NO.48  わが家の重大ニュース            2023年12月28日

 

 28日、夫も私も仕事納めとなりました。明日から年末の食料品の買い出し、大掃除(大したしませんが)を夫と手分けして片付けます。おせち料理はうま煮と生酢、伊達巻だけ作り、あとは予約していたオードブルで大晦日と正月を乗り切る予定です。29日には青森から娘が帰省します。数日前から顔がにやけている夫は「もういくつ寝ると~」とばかりに指折り数えていました(笑)。娘のリクエストに応えて、夕食は餃子でおもてなしです。

 毎年年末に我が家の重大ニュースを振り返っています。2023年の1位は娘の大学進学です。昨年の今頃はギリギリまで進路に悩み、三者面談をして志望校を確定しました。クリスマスもお正月ムードもなく、ピリピリしてたっけ(受験生のいる家はどこも同じでしょう)。母親としては海渡っちゃう?一人暮らしでご飯どうする、洗濯・掃除やれる?と、心配だらけでしたが、なんとか生きているから大丈夫のようです(実態は未知の世界)。大学で友人もでき、サークルにも入り、押し活の仲間も見つけオタ活も充実している様子を聞くに、1年前に想像していなかったほど逞しくなったと、感心しています。人づきあいの苦手な娘でしたが、それなりに折り合いをつけ、人間関係の難しさを経験しながら成長していると思います。

 第2位は母親(85歳)の骨折入院とその後の母との関係でしょうか。昨年12月に転倒で右腕を骨折、正月を病院で過ごした母は、1月10日過ぎに退院しました。電動ベッドが必要とのことで、急遽ニトリへ注文し設置しましたが、厳冬にひと月家を留守にして水道水を落とさなかったため、台所と風呂場、洗面所の水道管が凍結。あわや大惨事になるところでした。修理するのに数日かかり、費用は10万円!入院前に「水落とししといてよ」って伝えたのに、「40年近く住んで凍結なんかしたことないよっ」と突っぱねた母の言葉を鵜呑みにしたのが間違えでした。その後も通院やリハビリ、入浴・買い物介助などで実家を往復する日々が半年ほど続きました。そんな付き合いの中、老いた母の姿や高齢者にありがちな頑固さやわがまま、考え方の違いに直面し、自分の中で消化しきれない感情に葛藤、時に爆発しました。日々親の介護にかかわっている方、同居してお世話している家族の苦労が少しわかった気がしました。「年をとるとはこういうこと」と気持ちを切り替えて寄り添っていくことが必要なのでしょう。足腰弱ってはいますが、頭も口も達者で親子喧嘩するくらい元気でいてくれることが幸せだと思うことにしています。

 第3位は、このブログ開設です。古巣の地方紙に掲載していたコラムが今年2月で終了となり、書き足りない思いや書く意欲(執着?)がくすぶっていて、「ブログでもはじめたら?どこにいても読めるし」の娘の一言で、一念発起しました。「初心者向けで簡単。小学生が10分ではじめられました」のうたい文句を目にして、はてなブログに4月末に入会。IT、PC苦手の私は5時間くらい要して、ようやく開設できました。正直なところ使いこなせていませんが。

 当初は新聞記事の「である」に慣れていたので、「ですます調」で文を書くのに違和感がありました。写真もカメラではなくスマホ、撮り慣れていなくて失敗作も多々ありました。記事は日々の出来事・日常のつぶやきなどの他に、何かプラスして書こうとするので、月3~4回の掲載を目標にしています。世の中の話題をテーマにしたり、過去を思い出したり、心の内を整理したり、原稿を書くように何度も校正します。「公開する」をクリックする時は未だにドキドキです(笑)。自分と家族のために始めたブログですが、読んで面白かったと「はてなスター」を送ってくれる方がいらっしゃることがとても嬉しく、励みになります。1年間本当にありがとうございます。来年も北海道の南側沿岸都市から、家族3人と3匹の日々を気ままに綴っていきたいと思います。書きたいときに書く!書くことで今の自分と向き合っていきたいです。ちなみに猫たちは病気もケガもなく、食べて寝てぬくぬくと過ごす1年でした。

番外:夫が腰痛で病院通い3カ月。年には勝てぬ。まだ介護は嫌だから早く治してね。

          

     24日クリスマスケーキの向こうで、おひらきになっているのはチャコ。

           

 「これ美味しいの?」視線の先にはビールのつまみ、ボンゴ豆とプリッツが。